こんにちは、八王子市議会議員の相沢こうたです。
2021年12月
〇政府が実施しようとしている18歳以下への10万円給付の政策はその詳細が未だ(この原稿を書いているのは12月14日です)定まりません。5万円を現金、残りの5万円をクーポン券で支給するという当初案でしたが、クーポン券発行に掛かる費用が960億円にも上ることが判明してからおかしくなりました。半分をクーポン券としたのは、現金では貯蓄に回って消費を喚起できず地域に経済効果が及びにくいとの懸念が自民党に強かったためのようですが、例えば現金で5万円を用意して購入しようと準備していたところに同額のクーポン券が来たら、その費用にクーポン券を充てて用意した5万円は貯蓄に回すのではないでしょうか?そう考えれば結局のところクーポン券で支給しても貯蓄に回ることは同じ結果なのだと思います。ならばクーポン券にこだわった理由は他にあるのではないかと勘ぐってしまうのは私だけではないでしょう。クーポン券発行のために必要とされる事務費960億円は全くの無駄金で、この費用が出せるなら所得制限を設けて除外した世帯に支給してもおつりがくるのではないかと思います。
・その給付金対象外とした年収960万円以上の世帯への「所得制限」についても、独自の判断で設けないとする自治体が相次いで出てきてしまったことに対して、山際経済財政担当相は「独自に財源を確保して給付することを止めるものでもない」と容認する姿勢を示しました。そもそもこの所得制限の考え方が家庭全体での所得ではなく、扶養している親一人の所得が基準となっていることなど説得力に欠けるものになっていますので、この原則を崩すことを容認するくらいならば自治体にその判断をさせるのではなく、政府が制度から所得制限を撤回して実施していただかないと筋が通りません。そうしていただかないと所得制限の有無に対して「隣の市は制限撤廃なのにうちは有りなのか」と市民からの不公平に関するバッシングを受けるのは地方自治体になってしまいます。
以前実施した国民一人当たり10万円支給の際やワクチン接種など、コロナ騒動のここ2年間は政府が方針を決めて実施する事業が多いのですが、その度に実施するのは地方行政です。今回の給付金に関しても12月中に5万円を支給するという政府の意向に沿って地方行政は既に準備を進めており八王子市も例外ではありません。国の方針で12月中に支給するように言われていますが制度の詳細が未だに揺れており地方自治体は困惑しています。
本文との関連はありませんが・・・
12月12日には久しぶりに市の防災訓練が行われました。
新型コロナの影響で昨年は中止、今年も規模を縮小してのものでしたが次第に日常が戻りつつあると改めて感じました。
〇12月議会の一般質問では増え続けてる子どもの虐待に関して取り上げました。
厚生労働省の2020年度速報の数値では、全国215カ所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は1年間で19万3870件だったとあります。この数値は前年度比で5.75%増、20年前との比較では11.5倍以上にもなっています。これとは別の全国の市町村での児童虐待相談件数という数値では2018年度12万8816件とあり、こちらの件数も年々増加しています(※児童相談所は都道府県、政令市、一部の中核市に設置されており、市区町村に直接来る相談などはそれとは別に市区町村が運営している子ども家庭支援センターなどでの対応となります)。同じ人が双方の窓口に相談しているケースもあり得るため、両方を単純合算したものを「虐待の件数」ととらえることはできませんが、少なくとも年間で児童相談所と全国の市区町村にそれぞれ10万件を超える児童虐待の相談が寄せられているのが現状なのです。
・この数値の評価についてですが、虐待相談対応件数とは、相談を受け何らかの指導や措置をした件数になります。窓口に連絡はあったが指導や措置に至らなかった件数、あるいは窓口に相談がなかった事例は含まれません。また「虐待」の定義が「保護者によるもの」とされているため「その他の場でのそれに類する行為」は反映されません。虐待的行為は家庭以外にも子どもの生活の基盤である保育施設や学校などでも起きていると思われますが、それが虐待の定義から外れているため、困っている子どもの本当の数を把握することは困難を極めます。また虐待のほとんどは他人の目が届きにくい密室で起きているため、他人の目に触れていない虐待行為はまだ隠れていると考えるのが妥当ですので、児童相談所や市町村に寄せられた相談件数はすべての虐待を網羅しているわけではありません。
・この質問をした日の読売新聞の夕刊に子どもの虐待を取り上げた記事が載りました。子どもが実際に は声をあげづらいという実態がこの記事の内容でした。実際に虐待を受けていた人への調査では53%の人が「家庭外の人に相談する意思が無かった」と回答しており、その理由は「虐待を受けていても自分の家が普通だと思っていた」というものが最も多く、次いで「誰も助けてくれないと思った」、「外の人が関与するともっと虐待がひどくなると恐れた」「この生活から逃げ出せないと諦めていた」などとなっていました。子どもたちが安心して相談できるシステムが途上であるということが浮き彫りになっている記事だと思います。
・2016年、日本小児学会は「虐待で死亡した可能性がある子ども(15歳未満)に関する研究報告」をまとめ、虐待によって死に至った可能性のある子どもは年間350人に上ると試算しました。当時厚生労働省がまとめていた虐待死の子どもの数は「年間69~99人」でしたが、学会は「多くの虐待死が見逃されている可能性がある」と指摘しました。当然、見逃されている可能性があるのは死に至らない虐待も同様です。子どもの命にまで及ぶ行為は誰が見ても児童虐待だと判断できるでしょうが、難しいのはどのような行為が虐待にあたるのかということを定義することです。児童虐待防止法では、児童虐待の定義を定めた第2条で、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4類型について具体的な行為を含めて明記してしますが、難しいのは例えば「親が子どもを怪我をしないようにやさしく叩く」といった「しつけ」だったり「甘やかさない」といった教育の一環だという行為についてで、このあたりの感覚は大きく個人差のあるものだと思うのです。児童虐待防止に関しては刑罰の発生する法律がある以上、加害をした大人の行為が「虐待にあたるかどうか」という線引きをすることは避けられません。しかしそうした線引きはともすれば「虐待は良くないが、虐待でなければ許容される」という認識を引き起こします。しかし間違えてはならないのは、このような課題に関するすべての議論は「子ども(の利益)を守る」ことが目的だということです。大人に「これはしちゃいけないけど、これはしていい」と保証を与えることではありません。いかなる事情があろうとも、子どもへの虐待的行為が正当化されることはありません。生きる環境を自分で選べない子どもが、育つ環境のせいで長期にわたって苦しみ、不利益を受けなければいけない正当な理由などどこにもないからです。
・そう自分で言いながらも自分自身を振り返ってみれば、家庭で子どもに対してカァッとなって手を挙げてしまうことはあります。子どもに対して一生懸命に向き合えば向き合うほど感情が高ぶってしまうことがあるように思います。自分は幼い頃はそれが当たり前のようにしょっちゅう親父の鉄拳を食らっていましたが、そもそも50年以上も前のそういった時代の事と比較してはいけないのだと反省するに至っています。前述しましたように「愛情なのか虐待にあたってしまうのか」とても難しい問題だと思っていますが、ひとつの考え方として自分を見ながら育っているのだから自分が子どものお手本にならなくはならない、とか、自分のような凡人の子どもなのだからと子どもに過度な期待を寄せないことなど、子どもに対して冷静にいられる心を持つことが親として大事なことで、そういった気持ちで穏やかに子どもと接する大人になることを目指して大人自らも成長していくことが大切なのではないかと思っています。
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