こんにちは、八王子市議会議員の相沢こうたです。
2021年11月
〇衆議院議員選挙が終わりました。結果は自由民主党が261議席と過半数である233議席を上回る単独過半数以上の議席を獲得しました。他に注視すべき点は維新が選挙前11議席に対して41議席と4倍近く議席を伸ばしました。一方で野党共闘を全面に出した立憲民主は13議席減らし、共産党も2議席減らす結果となりました。野党共闘と言っても多くある野党のうち実際には立憲民主党と共産党の2党が協力するという形でした。立憲民主党は反自民の受け皿的な立ち位置でこれまでの選挙では野党の中で一番高い支持を受けていましたが、今回の選挙でその受け皿は維新に移ったようで、原因は複数あるでしょうが、安易に左傾化し過ぎていると、私には自滅に映ります。
・立憲民主党があまりにも簡単に共産党と手を組むことに連合は毅然と抗議してきました。立憲民主党は選挙の時のみの協力であって政策面では一線を画すと言います。共産党も党大会の決議で「22年までに野党連合政権の実現を目指し、党の見解を政権に持ち込むことはしない」と明記したようですが、党の基本理念である社会主義・共産主義社会を目指すという本質は何も変わらず、日米安全保障条約の廃棄や自衛隊の解消、天皇制を廃止し天皇制のない民主共和制の実現を図るという立場も堅持しているなど国民世論から相当乖離した考え方の政党と、どのようにして簡単に組むことが出来るのか私たちから見たら甚だ疑問です。政策だけではなく国家感などの根本的な違いを無視して選挙だけは協力し合おうというという態度は国民を馬鹿にしていると感じます。結局のところ立憲民主党は、自らの政党の主義主張が曖昧であることに加えて、安易に共産党と組むという体質が今回の選挙でマイナス評価されたのだと思います。
・なぜ共産党を評価できないのかと、近年、自分の周囲の後輩などにこういった話しをすると、本質を分かっていないのかな・・という人が多く、特に若い人はこの課題の意味すら理解していない人が大多数ではないかと感じます。思想・信条は各人の自由ですし、前述したような国を望むのも自由ですし、個人的に議会の同僚とは政策議論を交わしたり普通のお付き合いをさせていただいていますが、問題は過去の歴史から見えてくる根本的な体質にあるということです。
・日本共産党は1922(大正11)年に「共産主義インターナショナル」(通称コミンテルン)日本支部として結成されました。戦前・戦中は政府による激しい弾圧を受けましたが、戦後合法政党として活動を再開し、「細胞」と当時称された学校や党員の職場等における基礎組織を中心に、党勢を拡大します。
1951(昭和26)年には「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」を決定。さらに、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」と「軍事方針」を定めています。当時共産党が直接・間接的に関与したとされる事件は数多くあり、1952(昭和27)年の「吹田事件」(朝鮮戦争反対に関して暴力的なデモ行進を行った)や、同年の「血のメーデー」(デモ隊1名が死亡、デモ隊・警官隊合わせて約1,000名が負傷)、27年1月「白鳥警部射殺事件」など暴力的破壊活動を行っていたことは歴史的事実です。
しかしこのような路線は国民の理解を得られず、1952年の衆議院議員選挙と翌年の参議院議員選挙では全ての候補者が落選します。困難な状況に直面した日本共産党は、1958年には方針転換を行います。昭和30年7月の第6回全国協議会で、20年代後半に行った武装闘争を「誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」(=革命情勢がないのに武装蜂起した)などと自己批判し、33年7月の第7回党大会で、暴力革命唯一論の立場に立った「51年綱領」を「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で廃止します。また、これまでの混乱や武装闘争路線は一部の指導層の独断によって行われたものであり党中央組織とは関係がないとしました。この認識は現在に至っても同じです。
・昭和36年7月、第8回党大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。また、両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。
・日本共産党は、革命に至る過程を情勢によって「革命的情勢の時期」と「革命を準備する時期」という二つの時期に分け、それぞれの時期において、採用すべき戦術、方針を明確に区別しました。そして、現状を「革命を準備する時期」ととらえ、革命の条件づくりのため、長期展望に立って党勢拡大を始めとする各分野での影響力の増大や国会、地方議会での勢力の拡大を図るという戦術を採りました。その後、党勢は拡大し、昭和50年代には、党員40万人、機関紙300万部を超える勢力を擁するに至りました。また、国政の分野では、47年12月の衆院選で40議席(革新共同・推薦2議席を含む。)、49年7月の参院選で13議席を獲得するなど、議席を伸長させました。選挙で議席を伸ばすことの意味が違っているということは過去の歴史から歴然としているのに選挙協力をするという今回の立憲民主党の選挙手法には到底賛同できない、という連合の判断は正論です。
・徐々に内部抗争や金銭的腐敗を一掃し、クリーンなイメージを打ち出し、近年では共産党関係の目立った暴力事件は見られず、また党の綱領からも先鋭的な表現はなくなってきています。しかしこれは第一段階として資本主義体制の枠内にて民主的方法で勢力を伸ばし、第二段階で社会主義・共産主義国家樹立へと動く戦略に基づくものであり、将来的に再び暴力的な手段に訴えないとはいえない、という慎重な見方も根強く、警察庁では依然として共産党を「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」として「重大な関心」を払っている他、公安調査庁も「共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解」を公表しています。
・日本人は平和ボケしていると以前から思っていますが、根本的解決がされていないのに時間の経過とともに薄れてしまう課題は様々な分野に存在し、思想・信条が抗争の原因となる事象は現代でも世界中にいくらでもあります。共産党につきまとうネガティブなイメージは、党が実現しようとする「共産主義」そのものに対する嫌悪感と、これまで歴史上積み上げてきた様々な事件が基盤となっており、更に各民間労働組合は其々に内容に多少の差はあれども共産党系組合員の対応に苦労した歴史を持っています。近年は暴力事件も起こしていなければ、綱領も現実路線に切り替わっていますが、それがどこまで「共産党の本心」なのか、社会的に解決した課題ではないということは認識しておくべきだと思います。
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