八王子市議会議員

相沢こうた

KOHTA AIZAWA

相沢こうたNEWS
VOL.35 「視察報告」

市民・民主クラブ行政視察報告書

実施年月日: 平成26年7月7日~7月9日

視察場所
  ・長崎県佐世保市・・・東山海軍墓地
・長崎県長崎市池島・・炭鉱観光地化
・長崎県長崎市役所・・池島補助事業

1.長崎県佐世保市 東山海軍基地における戦没者慰霊祭、慰霊碑の整備・管理

◇佐世保市にある佐世保東山海軍墓地は、大東亜戦争時に佐世保に海軍基地がありここから出征した軍人が多く犠牲となったことから、市内の東山公園に慰霊碑を祀りその管理を実施するとともに慰霊祭を行っています。戦争から年月が経過した中での整備・管理について、その取り組みについて視察をいたしました。

○東山海軍墓地の概要

◇東山公園は大東亜戦争(こちらの海軍の方々は太平洋戦争とは言わないそうで、この呼び名で一貫しています)終戦までは海軍管理の国有地でしたが、終戦後、荒廃していたものを昭和34年に佐世保市が管理することとなり、東山公園として整備がすすめられました。

昭和60年に佐世保東山海軍墓地保存協会が設立され、平成6年に社団法人佐世保東山海軍基地保存会が設立され、旧海軍7団体、海上自衛隊OB会、海上自衛隊などの協力により現在の形となっています。

◇現在この海軍墓地には、合葬碑が戦前のもの15基、戦後のもの45基、個人碑417基が建立されており、戦没者17万6千と海上自衛隊殉職隊員が祀られています。

◇慰霊祭は各戦艦、各部隊ごとに実施されていますが、5月27日は日本海海戦記念式典、8月14日はお盆供養行事、秋には佐世保市主催の戦没者追悼式が行われています。

○お話いただいた中から(特記事項)

◇この場所は市の管理地となっていますが、戦争犠牲者に係るこういった土地は海外ではほぼ国有地で実施しています。日本には佐世保と呉しかなく、小金井市にあった場所は明治学院(学校)の敷地になってしまっています。

◇海外では敷地以外に式典などの費用も国が持っており、現在でも海軍がその墓地、施設のある港に入港した際には必ずお参りをするのが慣習になっています。

◇佐世保東山海軍墓地に関しては、土地は佐世保市のもので、管理は市の公園課が実施しています。
 公園扱いのため、骨は持ち込めず、碑の中に納めているのはその船に関係した方々の名簿などに限られます。

◇碑は保存会で管理しています。保存会は180人程度の組織で理事が12人となっており、寄付などの管理も行っています。

◇慰霊祭は佐世保市市民生活課が主となって実施しています。近年は参列者の高齢化が著しくなっているため式典の時間は40分程度に収まるように配慮しています。

◇保存会では戦没者の様々な資料を保管しており、その中にはどこでどのようにして戦死したか、といった概要やその戦地に向かった人たちの記録もあるため、現在でも問い合わせは多くあります。

○所 感

◇公園内には日露戦争、上海事変などの頃のものは個人の碑が祀られ、大東亜戦争当時のものは撃沈した船ごとの慰霊碑が整然と並んでいます。その犠牲者の数の多いことには改めて胸を締め付けられます。一隻の戦艦、潜水艦にこれほどの命が載せられており、その船とともに海に沈んでいってしまったという事実は、後世に語り継がれなくてはならない大切なことです。お話の中で「遺族の高齢化の問題」について頭を悩ませているといったことを何度かお聞きしました。慰霊祭の時間を短く、簡潔にしたり、遺族の後継の問題に対処されたり、とご苦労されていることや、昔は戦艦の碑ごとに遺族が集まり慰霊祭を行っていたものが、現在はそういったことが行われる碑が10基程度まで減ってしまい、現在も年々減少傾向にあるといった現実もお聞きしました。

 

慰霊碑、慰霊祭の持つ意味は、まずは当事者と遺族の心を鎮めるものであり、もうひとつは後世にそれを伝え後人たちの人生に訴えることだと思います。この目的から考えれば、当事者遺族が高齢化してしまった現在でも当事者たちの慰霊は継続されるべきであり、またその記憶を薄れさせたり消してしまうことがないよう後世にその事実をきちんと伝えるべきであります。第二次世界大戦から70年を経過した現在はそのあり方をもう一度しっかりと認識し継続に向けた方策を整理すべき時なのだろうとあらためて強く感じました。これは日本という国レベルでしっかりと取り組むべきことでありますが、その地域ごとにも様々に議論すべきことでもあります。

 

八王子市にも戦没者慰霊碑があり慰霊祭も行われています。慰霊碑の管理の問題は同会派の安藤議員が先日の一般質問で取り上げましたが、八王子市として戦争の記憶を後世に伝える手法を改めて検討し慰霊碑のあり方、慰霊祭のあり方を真剣に考える必要があると強く感じました。

2.長崎市池島、市役所・・池島炭鉱観光地化事業について

◇九州で最後まで操業した旧池島炭鉱では、炭鉱関連施設を残し、鉱員や資材を運搬したトロッコを観光用列車として復活させ、地域振興の目的で長崎市が補助し整備しています。八王子市に残る旧中島飛行機地下壕などに流用することの可能性などを含めて視察させていただきました。

○池島炭鉱について

◇池島炭鉱は、西彼杵半島の西沖合約7kmにある周囲約4kmの池島周辺の海底に広がる九州で最後まで操業した炭坑です。

三井松島産業の子会社である松島炭鉱により1959年より出炭が始まり、のちに閉山後の松島に建設された電源開発(J-POWER)の石炭火力発電所に石炭を供給しました。隣接地での旺盛な需要により石炭の採掘は1980~90年代にかけても進められ、最盛期の1985年には年間150万トンを越える石炭が採掘されました。1990年代には鉱区約35,500ha、坑道の総延長距離が約96kmに達し、炭鉱作業員の移動時間の短縮のために人車の軌道が改良されました。しかし、その後は炭鉱内での事故が相次いで発生、さらに1998年の電力自由化によって池島の石炭は安価な海外炭に押されるようになり2001年11月に閉山。当時約2,500人いた従業員はすべて解雇されました。操業開始から閉山までの出炭量は4,400万トンで、池島の石炭は良質なものとして重宝されました。

池島は海底に広がる炭鉱を掘る基地として、当初池であった現在の港部分を船舶の出入りが可能な港に改良し、島の敷地には最大で8000人が住んでいましたが、現在の定住者は200人程度です。

○池島炭鉱坑内探索について

◇池島の炭鉱跡を長崎市の産業遺産として広く一般に残す目的で、平成23年より実施しています。
 まず、池島開発総合センターにて概要説明後、ヘルメットやキャップライト(ヘルメットに装着する電燈)などを装着してトロッコにて坑内へ。坑内では様々な炭鉱現場を復元させた場所を元炭鉱マンの指示により移動しながら見学(一部で作業を体験)し、再び総合センターにて炭鉱作業の映像、発破の映像などを勉強します。

◇炭鉱内はほとんど当時のまま残されており、足元や壁も荒々しい作業場のままです。電気配線、送風機配備なども現場当時のまま残っており、迫力のある風景でほとんどの一般の人は初めて見る光景となります。
 説明も当時をよく知る元作業員の方ですので、大変興味深い話を聞くことができます。

◇酸素呼吸器をはじめとした緊急時の装備品は初めて見るものが多く、現場の緊張感を伝えていると感じました。

○長崎市の補助事業内容について

◇産業遺産観光事業までの経過
・平成13年11月 池島炭鉱閉山
・平成14年 池島炭鉱の鉱業権を所有する「三井松島リソーシス㈱」が国の委託事業の炭鉱技術海外移転事業(研修生受け入れ、海外派遣)を開始
・平成15年 長崎県観光連盟の依頼を受け修学旅行生の受け入れを開始
・平成17年 池島(外海町)が長崎市に編入合併
・平成18年 体験型観光の検討を実施していた長崎市の意向を踏まえて一般見学者の受け入れを開始
・平成22年 国の委託事業の終了に伴い、三井松島リソーシス㈱の鉱業権が消滅
長崎市は三井松島リソーシス㈱と水平坑道、トロッコ車を活用した観光事業について協議
・平成23年 長崎市の予算で、施設整備・運営補助金・トロッコ車整備などに係る経費を計上
・平成23年10月 トロッコ人車を活用した坑内体験を開始

◇長崎市の補助の状況
・平成23年 61,808千円(坑道内安全施策施工補助、トロッコ人車再生整備補助他を含む)
・平成24年 13,000千円
・平成25年 10,697千円

◇運営収支
・見学料収入、三井松島自己負担を含めて、各年ともほぼ収入=支出となっている。

◇坑内体験者数の実績
・平成23年 993人
・平成24年 2740人
・平成25年 4511人

※増加要因
・坑道内を常時体験できる炭鉱施設は日本で池島だけであること
・世界文化遺産登録の動きで注目を集めている軍艦島(端島炭坑)では見ることのできない炭鉱施設が残っていること
・メディアが様々に取り上げる機会が増えていること

◇今後について
・池島の人口拡大を目指すほか、集客数を更に増加して島内にお金を落としていただくしくみを如何にして構築するかということを検討している。
・定期便(航路便)の増設
・世界文化遺産を目指す軍艦島の代替え施設としての活用を目指す
・近代史を支えた石炭産業と地域の暮らしなどを題材に、ある時期の日本を支えた石炭産業を後世に残す教育施設としての活用を目指す

○所  感

◇視察の目的は当初、観光地化ということに焦点をあてていました。これだけの産業遺産を観光地の目玉として保存していくことは大変興味深いことです。同じ長崎県の軍艦島も炭鉱跡地で、ここは世界文化遺産への道筋が描かれているようで、関連付けた取り組みは今後の期待が膨らみます。

私(相澤)は、過去に東電での仕事が地中送電という部門で、都心の地下道を掘る現場には随分多く携わってきましたが、この坑道に入り改めて日本の掘削技術の高さを身に染みて感じました。また作業場の安全対策、施策に関してもよく考えられており、日本が発展してきた足跡を感じることが出来ると思いました。なぜ長崎にこのような炭鉱が発展したのかというと、過去(戦前から)の歴史で鉄鋼、造船、炭という3つの要素が工業発展に寄与した時代があったからですが、現在はエネルギーの主役が変わってしまったことで、炭鉱は国内にありません。ですから日本の歴史の大事な1ぺージとして池島炭鉱のような貴重な遺産はただの観光に終わらせてはならないと強く思いました。

 

当時の炭鉱作業を記録したフィルムを見させていただきました。作業員の方々を炭を掘っている現場までいかに早く運搬するかといったことが作業効率をあげるために絶対に必要な条件だったともお聞きしました。そのために狭い坑道内を時速50キロも出るドイツ製のトロッコに乗せて運搬し、トロッコのレールが引かれない更に狭いその先は人運搬用のベルトコンベアに乗せて現場まで運搬するといった今までに見たことがなかった映像がそこにありました。運搬された先の作業場は石炭掘削機械が回り続け粉じんが舞う、薄暗く狭く湿った空間であり、その作業環境は想像しきれないほど厳しいものだったとフィルムを見て感じました。日本の発展を支えてきた先人たちの苦労は綺麗な環境で育ち暮らす現代の人たちには想像できない壮絶さを持っており、そのことを後世にまで伝える手段として今回拝見させていただいた池島炭鉱の貴重な遺産などを活用すべきだと強く思いました。

八王子市でどのようなものが該当するのかわかりませんが、現代の社会が築かれるまでの過程で後世に伝えていかなくてはならないものを日本人の歴史としてきちんと伝えていく取組みの大切さをひしひしと感じた次第です。

☆ご対応いただいた方々

社団法人佐世保東山海軍基地保存会会長 都甲 泰臣さま
常任理事 福田 武さま
三井松島リソーシス㈱施設管理グループ若葉谷 三秋さま 他
長崎市議会事務局議事調査課松尾 真由美さま 他
相沢こうた
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